引き箔袋帯

 

 

ちょっとカジュアルな袋帯をごらんください。引き箔で織り上げていますが、箔は両面で、織機で織っています。でも、いまは引き箔を織機で織るから手織りと格が違う・・・といった感覚は機屋さんにはございません。織機の箔でも織り手の高度な技術がなければ織りあがらないようです。手織りの引き箔がもう織られていないのでは・・・と思いながら先日引き箔の無地の名古屋を注文いたしましたら、手織りで3段階あると返事がまいりました。まだ存在していました。ただ、箔の無地はキズになりやすく、10点織って2~3本はキズになるといわれます。ですから、10点くらいご注文いただきたい。キズ物も含めてお引き取りいただきたい・・・との条件付きでした。以前ですとそのような勝手な話は考えられなかったのですが、いまは生産者を保護し育成も考えなければなたない時代です。話は写真の帯にかえりまして、この帯地の箔は漆箔でございます。和紙の上に漆や金銀泥で絵を描き、細く裁断して織ります。片面の箔では織機で織って箔がひっくり返りますと裏の白が表に出てしまいます。ですので、両面に同じ柄を描く両面箔をつかいます。みなさまも帯の裏の耳の部分をごらんになられますとひと目でわかります。業者の知識レベルが低くなっていますから、自衛のために知識を身に着けていただければありがたいとおもいます。この帯地は名古屋帯専門の機屋さんが織っておられました。柄の雰囲気も名古屋帯の感じがございます。機が上がりますので処分します・・・とのことで、¥115,000、-(別税)でお願いいたします。

ブドウの帯

 

ひどい写真で、自分ながら情けないのですが、仕立て上がってまいりましたら、改めて照明を工夫して再度ご覧いただきたいとおもいます。先日、筆を挿した状態でごらんいただきました。今日は彩色が上がり、仕上げができております。お客様のご希望も、上品な仕上がりに・・・とのとのことで、誇張をなくして、穏やかな染め上がりにいたしてございます。地色も目色も写真が思うようではございませんが、ともかくご覧いただこうとおもいました。最初のデザインの絵から見ますと、ブドウの実の粒を小さくいたしてございます。お使いいただく方の人柄を考え、帯の自己主張を抑えてございます。わたしは、地色をもっと薄い色にして、柄の彩色を強いタッチで・・・とも申し上げました。呉服屋は作品が立派になることが成績がよくなるように考え勝ちです。時には、お客様のご希望と離れても、立派な染色作品にしあげたいものです。自戒しなければ・・・と思います。

泰生さんの袋帯

 

 

泰生さんの何気ない袋帯です。わたしはこの帯地は名古屋に織ってほしいのですが、機の拵えなど、それなりに大変で、私の注文量ではそれだけのコストはまかなえません。買い継ぎの方に半分半分の負担で織ってもらいましょう・・・と相談しているのですが、いづれにいたしましても来年のことではございます。この壱楽織という名は、泰生さんの織り方で、普通には斜子(ナナコ)と呼んでいます。縦横の糸の使用が等分でございますから、動きの変化に対応しやすく、しなやかな締め心地がうまれます。また、金銀糸が使ってありませんから豪華さとはほど遠い感じで、織りだしはきちっとできていますが、威張っていない帯・・・と申し上げれます。この帯も、お茶席にお使いただきたい帯と思っております。どの機屋さんもそれぞれの目指す世界があります。泰生さんは目を見張るような帯は少ないです。でも、お締めいただきますと糸質の良さと飽きの来ない柄の雰囲気にフアンになっていただく方がいらっしゃいます。私にとって、泰生さんはそんな機屋さんです。¥180,000、-(別税)でお願いいたします。

西村さんの佐賀錦袋帯

 

 

 

 

西村さんは博多切っての機屋さんです。また、最近の呉服業界の雰囲気とは異なり、いいものを制作して積極的にお求めいただこう・・・という信念にもとずいて経営されている会社だと聞いています。わたしは博多は機屋さんと直接取引がありませんので、買い継ぎの人に電話ででもお願いして詳しい話を聞かせてもらっています。佐賀錦の華やかさを西陣で・・・と西陣でも佐賀錦は織られています。組織が横糸を箔に織っていますが、博多は経糸に箔を使って織ります。一番下の写真をご覧いただきますと、経糸に箔を使っているのがご覧いただけると思います。この箔がただいま京都でも2軒しか作っていないとのことで、順番待ちで、この帯も3か月待ちの状況だと聞きます。品物はわたしが拝見しても”これが博多?”と聞き返すほど柔らかくしなやかでかってのイメージがありません。買い継ぎの人は、博多の帯はいまは西陣よりいいのでは・・・と言っておられます。西陣がおざなりの制作態度なのに比べて、博多は若い織手の人を給料も出して品質の向上を図っているとのことです。わたしは西陣のいい機屋さんは歴史もあり、幅も奥行きも桁が違うを思っていますが、たしかに西陣ではもっといいものを制作してお客様に魅力を感じてもらおう・・・と思っている機屋さんは少ないでしょう。ともあれ、この帯地は¥250,000(別税)でおねがいいたします。

スクイ袋帯、福寿文

 

 

 

いろいろご注文いただくのですが、対応できる品物がなくなり、京都の買い継ぎに頼んで袋帯を送ってもらい、四点を選んで求めました。いずれもすぐれた帯地です。ご覧いただいていますのはスクイの袋帯です。もちろん手織りなのですが三枚目の写真は裏側から写してございます。また、最後の写真は前の腹の部分の柄ですが、この帯地はおしゃれな感覚がございますので、普通の袋帯のように横向きの柄でなく、お締めいただきますと縦の柄になるように設計されています。手織りのものは六通では織りませんので、この帯もお太鼓と前の部分と垂れの柄で構成されています。最近はこのように一人でコツコツと作品を作っている方がおられますようで、わたしも来年になったらぜひ訪ねてみたいとおもっています。訪問着にはさすがにご遠慮いただきたいと思いますが、この帯の似合う付け下げ、無地の紋付、小紋にもよろしいかと存じます。また、紬にもおしゃれ感覚が豊かですから合わせていただけるとおもいます。わたしはスクイの技法がとても好きで、儀礼的でないざっくりとした野趣のあるものに愛着を感じております。まことさんが得意とされているよろけ縞の地ですので、軽量でしなやかな織上がりになっています。¥170,000、-(別税)でおねがいいたします。

琳派Ⅲ

 

尾形光琳という方は、新しい地平を切り開いた方のようにわたしは考えています。光琳梅、光琳菊、光琳松、光琳波などそれまでの常識を破った表現でその本質をみごとにわたしたちに示してくれました。いまも私たちきものにかかわるものはとても大切にしている図案です。(この写真は三井先生の著作から無断で拝借しています。)もう少し前の時代に、出雲の阿国によって歌舞伎の前身がうまれているのですが、傾く(かぶく)と言われたように、常識と離れて傾いている・・・という意味だと聞きます。時代全体がそれまでの常識を打破してあたらしい時代を切り開こうとするエネルギーが満ちていた時代なのではないのでしょうか。くわしくは書ききれませんが、この感覚の延長線上に浮世絵が花開いたようにわたしは思っております。極論のように思われるかと存じますが、いま盛んな漫画、アニメも同じ延長線上にあるのではないかと考えています。琳派という活動はヌーベルバーグだったのではないでしょうか。初代の宗達、100年を経て1657年、光琳が京都の雁金屋の次男として生まれました。江戸後期に酒井抱一が姫路の殿様の弟として生まれ、宗達、光琳の作品に感動して路線を継承なさいました。多くの専門家の先生方によって、デザイン、図案の角度から、また彩色の面からも研究されていますから、興味のある方は一読をお勧めいたします。いま、きものは停滞の時代を迎えています。わたしは若い人たちの手で新しい波が起こされることを念願しています。

琳派Ⅱ

琳派の初代と言われる俵屋宗達の生きた時代は、貴族から武士への権力の転移が起きていたのですが、同時に町衆と呼ばれる富裕な町人がうまれ、日本はとても活発な経済の活動期であったとおもいます。ご朱印船と呼ばれる中国との貿易ばかりでなく、東南アジアとも盛んな往来があり、ヴィエトナム、フイリピン、カンボジアなどには日本人町が出来ていたほど盛んな往来であったと思います。(家康と安南王との書簡の往復があったことでも、当時の雰囲気がわかるように思います。)また、当時の日本は世界的に屈指の金や銀の産出国であり、マルコポーロの東方見聞録に申します、「黄金の国ジパング」はあながち誇張ではなかった時代なのだとおもいます。このような富を背景に、町衆は自分たちの好みに合った新しい芸術を望んだのではないでしょうか。日常の生活の中で身近に置いて楽しめるもの・・・屏風絵、扇子に描いた絵画、色紙、短冊、団扇にまで一流の絵師が絵を描きます。硯箱から陶器までまた、きものの小袖も新たなデザインが生み出されます。茶の湯、能狂言、生花また、数寄屋造りと呼ばれる建築様式もこの時代にうまれています。武家や貴族の御用絵師の土佐派、狩野派と異なる自分たちの好みの芸術を望んだのではないでしょうか。では、琳派の芸術とは一言で何なんでしょうか?一つには豊かな装飾性にあるといわれています。わたしは端的に、目立って格好いい感覚・・・と自分で思っています。写実性よりも見せたいものを誇張してでも訴えているのではとかんじています。専門の先生方はくわしく研究をなさっておいでですから、多くの解説書を読んでいただくこととして、琳派の評価は明治になるまでは低かったようです。生活美術・・・つまり本格的な芸術ではなく、町人の日常生活に用いられた一段低い美術であり芸術だ・・・と評価されていたようです。明治期になり、外国に紹介されたり、外国の人が日本に来て、浮世絵をはじめとする一般大衆が日常に用いている文化に触れて、次第に琳派の評価が高まった・・・ようにおもいます。日本の民度はとても高く、宗達、光琳を受け入れ、日常にまで生かすレベルにあったのだと思います。じっさい、宗達の屏風絵は格好いい・・・です。風神雷神図でも、いつまで眺めていても飽きない躍動感、引き締まった構図、金泥の上に描かれた華麗な色彩。決して行儀のいい絵ではないかもしれませんが、見る人の気持ちをぐっとつかむものがあります。

写真の絵は宗達の神楽を描いた屏風の絵です。家内の留袖はこの絵からデザインをいただきました。ローケツの堰出しという手法で染めてもらています。