五蘊、その先の縁起。

お釈迦さまは空経というお経の中で六処の代表としての眼について説かれます。”アーナンダよ、自己について、また自らのものについて空だから、「世界は空である」と言われる。ではアーナンダよ、何が自己について、自らのものについて空なのか。アーナンダよ、眼は自己について、また自らのものについて空である。” 私がいてこの体は私のものである・・・とわたしたちは日常思っています。でも自身そのものすら根拠がないのです。自分のものと思うこの身体も家族も財産もなにかのきっかけで崩壊しかねないものです。  六処につづいて私たちの能力を分析した五蘊について少しもうしあげなければなりません。そして、六処、五蘊を含めた縁起から四聖諦にいたってお釈迦様の苦の克服にいたる道筋が見えてまいります。最後にお釈迦様が指し示されたあたらしい思想について私なりの思い方を仕上げたいと思っています。いままで一つのことを書きますと百くらいの疑問が湧いてきて、途中でもう無理と投げ出したい思いでした。でも、さいごのお釈迦様の素晴らしいプレゼントはどうしても書いてみたくて続けてまいりました。

四聖諦、縁起、六処、五蘊。

お釈迦さまは四聖諦の瞑想で悟りを開かれたと伝えられています。お釈迦様御自身、そのように弟子たちにおっしゃったとお経では伝えています。四聖諦、縁起、六処、五蘊は角度を変えて私たち人の成り立ちの根源を思索を通して明らかにしたもので、仏教の根本的な思想だと思われます。その中の一つ、六処について簡単に申し上げたいと思います。わたしたちは視覚器官の目、聴覚器官の耳、嗅覚器官の鼻、味覚器官の舌、対象に接触する「身」、心である「意」の集合だとお釈迦さまは説かれました。この六つの器官が対象と接触してさまざまな感受が生じます。その感じたことを真理だと思ってもそれは自らの経験や見解が拠って立つところは六つの認識機関にすぎない。この六つの認識器官とその認識対象の六つ、目の対象としての色・形、耳の対象としての声、鼻の対象としての香、舌の対象としての味、身の対象となるのが触覚、意の対象となるのが心的対象となる法です。六つの認識器官とその対象の六つ、十二の拠り所を離れて私たちは認識することはできません。この十二の拠り所を離れては根拠のある言説は成り立ちません。ですから、バラモン教の主張するブラフマンという神、そして梵我一如としてブラフマンと合一するアートマンを認めることは根拠のないことで、仏教では認めません。わたしたちは日常の生活のなかで確かに自己だと思える個体の存在を感じています。でもそれは六つの認識器官の束が感受しているに過ぎないと仏典は伝えます。ではその認識器官は確かなものとして存在し続けるのしょうか。お釈迦さまはその不確かさをお経の中で述べておられます。

仏教の研究の成果

1990年代、アフガニスタンの内戦に伴い大量の仏典が古美術業界に流出しました。特に紀元前後の貴重な仏典であり、今までの定説を覆すような成果も上がっていて、いまもミュンヘン大学やワシントン大学で研究が進められています。日本でもたくさんの学者の方々が研究者として中身の濃い成果を発表されています。1980年ころまで日本でも専門誌上で縁起について論争が続いていました。その中にはインドの気候風土の研究を発表なされた和辻哲郎さんも参加なさっておられます。仏教は忘れられた存在ではなく欧米では真摯な研究がすすめられ成果も積みあがっています。具体的には仏教の五派といわれる上座部大寺派、説一切有部、大衆部、化地部、法蔵部の初期の経典の共通部分を確認して、お釈迦さまが確かに述べられたであろうお経を特定して、研究がすすめられました。その結果、布施、戒、四聖諦、縁起、五蘊、六処などの教えは間違いなく大乗仏教が起こる前、初期仏教の時代に広く伝承されていた思想であると現在では認められています。特に四聖諦、縁起、五蘊、六処はお釈迦様がいろいろな角度から物事を分析、思索をなされ、真理(悟り)に至られた核心の部分ではないかと考えられています。たくさんの学者の方々の著作のなかで、わたしがもっともわかりやすかった方の著作を通じて、通り一偏ですがお釈迦様の主張を考えてみたいと思います。もちろん、お釈迦様の悟りなどという大きなことは触れることはできませんが、伝道に入られたのちのお釈迦様の言葉を通して、私たちがどのように生きたら悩み少なく、心穏やかに生きてゆけるかはっきりと指し示しておられるように思います。

ジャイナ教と唯物論

ジャイナ教は今もインドの人口の1%ながら確固とした宗教としての地位を保っています。仏教とは姉妹宗教といわれ、アレキサンダーもその修行のありかた、姿勢に大いに啓発され修行者の一人を友人として軍に伴ったほど真摯な宗教でもありました。近年、日本の仏教の研究者がインドの一般的な道路でジャイナ教の修行者を見かけ、その厳しい求道の姿勢、眼の色に大変感動された紀行文を拝見しましたが、2500年前の当時は仏教の修行者も同じ感動を与えるような日常であったことでしょう。現代でもチベットや上座部の生きている東南アジアでは真摯な修行が行われています。ジャイナ教では死んでも転生する霊魂に相当するジーヴァの存在を認め、ジーヴァが輪廻するのは他から業物質が入りこんで主体性を失っているせいなので、一切の所有を放棄し、殺生をすることなく苦行に励み、業物質を排除して輪廻から解脱することを目的としています。仏教と大きく違う点は、霊魂的な実在するものを仏教は認めませんでした。この実在するものを認めない思想は唯物論と同じではないかとバラモン教などから攻撃されています。霊魂にあたる実在するものを否定することは当時のバラモン教の思想に従って社会が成り立っていることへの否定ですから大変重要な思想の対立であったと思います。唯物論を主張するアジタケーサンパリンは人は地・水・火・風の四大元素の集合に過ぎず、死ぬと四大元素は四散するのみで死後の生は存在しない。布施は意味のないことである・・・と結論付けています。霊魂の実在を否定し、唯物論に近い思想を打ち出した仏教はこの問題に答えているのですが、お釈迦様の悟りといわれる思索に源がありますから、私ごときが説明はできませんが、研究者も多くその方々の成果もあり通り一偏の説明もできるかもしれません。

風神雷神の訪問着

風神雷神の訪問着のご自宅玄関前で写していただいた写真です。よくお似合いです。誂えでご注文いただくくらいですから、お好みでもあったと思います。お茶会にご出席なのですが、例年1月のこのころの初釜で、一年かけて来年のきものを考えなさいとご注文いただきました。月並みなきものではご満足いただける方ではございませんので、心を引き締めていちど頭の中を空っぽにして発想してみたいと思っています。芸術一家で、娘さん二人、ヴァイオリ二ストと漆芸家でありご当人も数年前までクラッシクのソプラノ歌手として現役でした。身の引き締まるおもいで前を向いて時を過ごせると思っています。

ページをお借りして昨日のインドの話をすこし書いてみたいと思います。お釈迦様が生きておられたBC500年ころにはバラモン教はインドの思想、文化の基礎を形作り社会の基本的枠組みを完成させていました。ヴェーダは聖仙が神秘的な力で天から聞き取った啓示であって人や神が作ったものではない・・・絶対的な権威を伴ってインドの思想の根底を形作っています。リグヴェーダから継承されたマヌ法典では最高神ブラフマンの頭から祭式を司るバラモンがうまれ、腕から武人のクシャトリアが腿から生産に従事するバイシャがうまれ、足から隷民としてのシュードラがうまれたと説きます。カースト制度は神の意志であると主張されたのです。バラモンとしての祭官はアーリアの人々を祭祀によって死後天に生まれ変わらせることが出来ると主張して祭官への贈与を要求しました。多くの富は祭官への贈与に消費されたと考えられます。人々は天とこの世とを往復しながら輪廻転生を繰り返す存在と認識していたのでしょう。また、古代インドでは善因善果、悪因悪果という思想がすでに生まれていました。でも、一度の生涯で善因善果も悪因悪果も実らないことが多くあり、輪廻転生は生まれ変わっても因果応報の法則を合理化した思想ではないか・・・と考える学者の方々も多くいらっしゃるようです。古代インドの社会はこのような神と結びついたバラモン教の祭祀を中心とした制度を中心に運営されていたとかんがえられます。その中にあって、仏教、ジャイナ教、また唯物論を基本とする思想などが花開いています。世界史のなかでも経験のないほどの思想の花が咲き乱れた時代・・・と言われています。農業生産の拡大が急速に普及して、新興の都市部を中心に今までの思想に飽き足らなくなった人々が新しい思想を求めていたのでしょう。この時代はバラモン教の祭官に対しても批判が行われています。

アーリア人のインド侵入

BC1500年ころはそれまで5000年続いていた地球規模の温暖湿潤期が終わり、寒冷乾燥期に入っていました。中央アジアで遊牧生活を送っていたアーリア人は牧草を求めて南下し、カイバル峠を超えてインドの地に侵入してゆきました。おなじアーリアのイランの人々も移動をして地中海に達しています。中国では黄河流域の人たちが南下し、玉突き現象で長江流域の人々の中に南の海に出ざるを得ない人々がうまれ、その一部の人々が日本に稲作をもたらしたのではないか・・・と言われています。インドに侵入したアーリア人は、鉄の生産を押え、馬による移動にも長け、先住の人々を圧倒する勢いでインダス河流域に広がりBC500年ころにはガンジス河流域を目前にしています。インドアーリア人はBC1000年ころにはイランインド共通の時代の宗教にもとずく祭祀をリグヴェーダ編纂し、口伝で伝えていました。ヴェーダは神々への賛歌、哲学的な思索、祭祀の規定などをその内容としてます。ヴェーダは4種類編纂されていますが、全体でバラモン教と呼ばれています。今日のヒンドゥー教の前身をなすものであり、ヒンドゥー教が今日インド社会の基底をなしていることを考えるとヴェーダの思想、バラモン教ははとても重要なカギになるように思います。

インドの気候風土

バラモン教について簡単に説明できないものか・・・と思ったのですが、インドにとってバラモン教は単なる宗教といった存在ではなく、社会の基底を形作っている文化そのものでもあります。数行で表現できるような単純な存在でもありません。インドの気候風土と結びついて長い歴史を持っています。まず、インドという土地そのものから知る必要があるように思います。インド大陸は一辺が2000キロの三角形を北回帰線を中心に折り返したような大きな菱形をしています。北端は中国やパキスタンとの係争地であるカシミール地方で、北緯38度。南北朝鮮の国境線と同じです。南は北緯8度。タイ、マレーシアの国境線、フィリピンのミンダナオ島付近ですから、インド大陸は大きな国ではあります。面積は日本の9倍で中国に次ぐアジアで二番目です。山岳地帯が少なく、なだらかな平地が国土の多くを占めており、土地は肥沃で農業生産が始まってからは豊かな生活を送ってきた歴史があります。インドでは自然から食料を得ることには特段の努力を必要とせず、分配に関する道徳や倫理観が重視されました。生産に不安はないのですから分配に関心が向かうのはごく自然なことなのでしょう。日本の歴史やヨーロッパのプロテスタンの間で芽生えた勤勉を尊び、蓄財を奨励するような倫理は生まれなかった・・・。インドの宗教では無所有と完全な放棄を説きます。無所有であっても食料の生産に不安がなく、分配の倫理が確立していれば生きてゆくことはできます。わたしなどには想像もできない国の成り立ちだとおもいますが、そのような国土を持った国であったからこそ世界でもっとも哲学や宗教が極められたと評価される思想の大国がうまれた・・・とも言えます。ちがった一面としてインドの置かれた気候風土もインド哲学におおきな影響を与えていると説く学者の方々が多くいらっしゃいます。