茶室3

茶室1-500

とても珍しい長押です。銘木の半割を使って絞り丸太の床柱と組んでおられます。難しい仕事でしょう。このような茶室の造りは、私たちの一般的な住宅と宮大工の作る千年も持つ寺院の造りとの違いほど私たちの日常とは離れています。大切なことは、このような仕事に触れて、すがすがしい思いとともに、背筋を伸ばして日々を生活しよう・・・・と思えることではないでしょうか。

茶室2

茶室4-500

茶室を美しいと感じる原点は何なのでしょう?禅寺に伺うと、この写真と同じような印象を受けます。もともとお茶は禅と一緒に日本に参りました。わたしは今もお茶はその発祥の気持ちに沿って発展しているように思います。簡素で無駄がなく、足らざるもなく余ることもない、そのような境地を表しているように思います。武道の型を見るようなさわやかな美しさを感じます。何時間でも座っていたい・・・ですね。かりに、趣向で、この部屋にシャンデリアをつけてみましょう。とてもいたたまれない違和感があります。そのように思うと日本人の感性は素晴らしい・・・と感じます。長く失われませんように・・・・

茶室

茶室6-500

魅力的な空間と思われますでしょう?先日ふとしたご縁でこの茶室を作られた方を存じ上げました。わたし、職業柄(かもしれませんが)和室はたいへん好きで、その粋を集めた茶室にはとてもあこがれがあります。核心に触れることができるかどうかわかりませんが、お話を伺いながらの聞き書きですが興味のある方に何かの参考になれば・・・・とお伝えさせていただきます。

大奥

絽綴れ八寸-500

写真は絽の爪つづれ(スクイ)の前の柄です。左右どちらでも締めれるよう、柄が設計されています。先日の柄取りのように、片方しか柄がない場合もあります。このような柄のつけ方になったのは、江戸城の大奥で左手に手先を持つ帯の締め方に統一して以来のことだそうです。右手先が普通で、左手先は不祝儀手と言われていた時代、襟を左前に変えるほど厳しい規制だったでしょう。理由は、大坂方の患者を見破るため・・・・だったそうです。習慣で朝起きて、帯は右手に持ちますよね。今もって、「私どもでは片腹の柄付けをいたしますので・・・・」といわれる機屋さんもあります。こだわることはありませんが、面白い小話です。

絹ばらのゆくえ

絹バラ-500

グンゼの絹ばらブランドの裏地は全国標準になるくらい多くの呉服屋さんで使われていました。ただいま、それがちょっとした騒ぎになっています。今はグンゼさんはありませんから、子会社に移転して同じものを作っているのですが、どうも製造中止になりそうなのです。代わる裏地は広幅の裏地ではありません。使い比べてみましても、絹ばらは洗い張りをしても、他のメーカーと違い、痩せて帰ってこないのです。中止になる事情はいろいろ聞きますが、根っこに生産性の低下があり、六割くらい値上げしたのですが、それでも製造するメリットがない・・・・とのことです。メーカーに注文が少ないということは、それだけきものの需要が減少している、または中国を含む低い品質の裏地に切り替わっている・・・・のです。わたしも、福井県の他のメーカーの輸出用羽二重を検討したのですが、とても使えません。絹ばらをやっと2か月分だけ確保しましたが、そのあとは、小幅の羽二重を使うようになると思います。関東ではほとんど使いませんが、小幅の羽二重のほうが絹ばらより上質ではあります。ともあれ、とても困った状況になってきています。

帯の手先

綴れ前の柄-500

写真はあるお客様の綴れの袋帯の前の柄です。左側が手先ですので、右手に手先を持たないと前の柄が出ません。私たちは片腹と呼ぶのですが、左右どちらで手先を持っても柄が出るようには設計されていないのです。変なようですが、つづれではこの柄取りが普通なのです。今でも、つづれを注文いたしますと、祝儀手ですか?不祝儀手ですか?と尋ねる機屋さんがあります。マニアックなことなので、こだわる必要はないのですが、故事来歴の知識としてちょっと面白いお話です。

誰にもわからない

睡蓮・石神井公園-500

平成の大停滞からどのように脱出するのか・・・・政府も学者の方々もたいへんな努力を傾けておられます。たしかに、昭和の不況は高橋蔵相の超金融緩和によって脱け出せた・・・・とみられています。でも、取り巻く環境もタイミングも当時と違います。超金融緩和から一転して暴力的な緊縮政策によって起こされた不況なのははっきりとしているのですから、なんらかの強力な政策が必要でしょうが、このような壮大な社会実験の結果は誰にもわからないでしょう。