琳派Ⅲ

 

尾形光琳という方は、新しい地平を切り開いた方のようにわたしは考えています。光琳梅、光琳菊、光琳松、光琳波などそれまでの常識を破った表現でその本質をみごとにわたしたちに示してくれました。いまも私たちきものにかかわるものはとても大切にしている図案です。(この写真は三井先生の著作から無断で拝借しています。)もう少し前の時代に、出雲の阿国によって歌舞伎の前身がうまれているのですが、傾く(かぶく)と言われたように、常識と離れて傾いている・・・という意味だと聞きます。時代全体がそれまでの常識を打破してあたらしい時代を切り開こうとするエネルギーが満ちていた時代なのではないのでしょうか。くわしくは書ききれませんが、この感覚の延長線上に浮世絵が花開いたようにわたしは思っております。極論のように思われるかと存じますが、いま盛んな漫画、アニメも同じ延長線上にあるのではないかと考えています。琳派という活動はヌーベルバーグだったのではないでしょうか。初代の宗達、100年を経て1657年、光琳が京都の雁金屋の次男として生まれました。江戸後期に酒井抱一が姫路の殿様の弟として生まれ、宗達、光琳の作品に感動して路線を継承なさいました。多くの専門家の先生方によって、デザイン、図案の角度から、また彩色の面からも研究されていますから、興味のある方は一読をお勧めいたします。いま、きものは停滞の時代を迎えています。わたしは若い人たちの手で新しい波が起こされることを念願しています。