今年、来年。

写真の留袖は田村哲彦の作品です。まだ私たちの注文を受けて、染めてくれた頃に発注したものです。留袖としては普通にない図案で、とても面白いと感じました。お好みいただくお客様もいらっしゃいましたが、もうすこし平凡な柄を・・・と思われるのももっともだと思います。今日まで留守番をいたしております。値段はもうたきちも終わっていますので、安く処分させていただきます。¥198,000(別税)でおねがいいたします。たきちの原価よりはるか下の価格です。

年の暮れで、商品があと一度アップするかもしれませんが、このまま新年に入って行くかも・・・と思っています。すこし時間がありますので、80爺やの思い出話なども座興の一つかと思い、お聞きいただければ幸いです。もう三十数年前、はじめてニューヨークへ行った時の話です。ちょうど地球を半周しての飛行でしたが、眼下に拡がるカナダの荒野をずっと見ておりました。わたしのような一旅行者が、こんなに簡単に地球を半周できる・・・ことに、人類の大きな力を見る思いがしました。そして、地球の頼りなさ・・・ともうしますか、人類が今の地球を壊そうと思えば、いとも簡単に壊すことが出来るだろうな・・・と実感しました。自分と地球とはどのような間合いが正しいのだろう・・・と真面目に考えていました。いま、かって地球を頼りない壊れても不思議ではない・・・と感じたことが、自分の身の上に起こっています。道元禅師が、自分の存在はちょうど池に映った月のようなものだ・・・と言われたことが実感として納得できます。自分は確固たる存在だ・・・と思っていたものが、ただ、目や耳や鼻などの感覚器官が描いた架空の映像にすぎない・・・。確固たる自分という存在がないということなら、生きること自体があまり意味がないではないか・・・お釈迦様の時代にも同じようなテーマで論争がありました。今年の秋から今もお釈迦様ご自身がどのようにお考えだったのか・・・とても知りたく、読書を続けております。たくさんの方々が研究なされ、ほぼお釈迦様のお考えに近いだろうと思われる思想がわかってきています。しかし、偉大な精神の持ち主の全部はとても把握できていないのが現状だと思います。わたしの拙い文章ではなく、立派な方々の研究なされた文献のほうが素晴らしいと思いますが、私の自問自答もなんとなくお聞きいただければ嬉しいこととおもい、すこし述べてみたいと思います。のちのナーガルジュナの中観論や唯識論に始まる大乗の哲学ではなく、お釈迦様そのかたがどのようにお考えだったのか・・・なぜ、あの時代にインドそのものから、中央アジアから東南アジア全体に仏教思想が受け入れられ、今日に至るまでたくさんの人々の生き方に影響を与えているのか・・・。魅力あふれる考え方のようにおもっています。