アーリア人のインド侵入

BC1500年ころはそれまで5000年続いていた地球規模の温暖湿潤期が終わり、寒冷乾燥期に入っていました。中央アジアで遊牧生活を送っていたアーリア人は牧草を求めて南下し、カイバル峠を超えてインドの地に侵入してゆきました。おなじアーリアのイランの人々も移動をして地中海に達しています。中国では黄河流域の人たちが南下し、玉突き現象で長江流域の人々の中に南の海に出ざるを得ない人々がうまれ、その一部の人々が日本に稲作をもたらしたのではないか・・・と言われています。インドに侵入したアーリア人は、鉄の生産を押え、馬による移動にも長け、先住の人々を圧倒する勢いでインダス河流域に広がりBC500年ころにはガンジス河流域を目前にしています。インドアーリア人はBC1000年ころにはイランインド共通の時代の宗教にもとずく祭祀をリグヴェーダ編纂し、口伝で伝えていました。ヴェーダは神々への賛歌、哲学的な思索、祭祀の規定などをその内容としてます。ヴェーダは4種類編纂されていますが、全体でバラモン教と呼ばれています。今日のヒンドゥー教の前身をなすものであり、ヒンドゥー教が今日インド社会の基底をなしていることを考えるとヴェーダの思想、バラモン教ははとても重要なカギになるように思います。