ジャイナ教と唯物論

ジャイナ教は今もインドの人口の1%ながら確固とした宗教としての地位を保っています。仏教とは姉妹宗教といわれ、アレキサンダーもその修行のありかた、姿勢に大いに啓発され修行者の一人を友人として軍に伴ったほど真摯な宗教でもありました。近年、日本の仏教の研究者がインドの一般的な道路でジャイナ教の修行者を見かけ、その厳しい求道の姿勢、眼の色に大変感動された紀行文を拝見しましたが、2500年前の当時は仏教の修行者も同じ感動を与えるような日常であったことでしょう。現代でもチベットや上座部の生きている東南アジアでは真摯な修行が行われています。ジャイナ教では死んでも転生する霊魂に相当するジーヴァの存在を認め、ジーヴァが輪廻するのは他から業物質が入りこんで主体性を失っているせいなので、一切の所有を放棄し、殺生をすることなく苦行に励み、業物質を排除して輪廻から解脱することを目的としています。仏教と大きく違う点は、霊魂的な実在するものを仏教は認めませんでした。この実在するものを認めない思想は唯物論と同じではないかとバラモン教などから攻撃されています。霊魂にあたる実在するものを否定することは当時のバラモン教の思想に従って社会が成り立っていることへの否定ですから大変重要な思想の対立であったと思います。唯物論を主張するアジタケーサンパリンは人は地・水・火・風の四大元素の集合に過ぎず、死ぬと四大元素は四散するのみで死後の生は存在しない。布施は意味のないことである・・・と結論付けています。霊魂の実在を否定し、唯物論に近い思想を打ち出した仏教はこの問題に答えているのですが、お釈迦様の悟りといわれる思索に源がありますから、私ごときが説明はできませんが、研究者も多くその方々の成果もあり通り一偏の説明もできるかもしれません。