善因善果。

古代インドでは善因善果、悪因悪果という思想はおしゃか様の時代いぜんからありました。おしゃか様は一歩すすめて、積極的に善をなすことを提唱なさいます。バラモン教の祭官による祭式で梵天界に生まれ変わることができると主張する祭官に、「四梵住」という瞑想を教えます。四梵住とは、「一切を自己として」すなわち一切の生類を自己と同様だとみなして、慈しみ、憐れみ、喜び、平静な無量の心で四方を満たすことです。バラモン教では最高神ブラフマンに自己が合一する梵我一如によって梵天界に到達すると説くのに対して、おしゃか様は梵天界に生まれ変わるのは、祭式によってでもなく、梵我一如によってでもなく、利他の心によって梵天界に生まれると説かれます。「一切の悪をなさないこと、善を具えること、自己の心を清めること、これが諸仏の教えである。」と大譬喩経でも説かれています。また、転輪王経では理想的な為政者の条件を挙げておられます。「すぐれた教養ある者からの助言にもとずき正しい法による統治をおこなうこと、貧しい者の生活保障をすることである。為政者が貧しい者の生活保障をしなければ社会は乱れるのである。」バラモン教では王権は神より与えられた王権神授説なのですが、転輪王経では、王自身が王の務めを果たすことによってのみ王権の正統性は保証される。転輪王の正統性は神によってではなく、王の行為そのものによって認められる。この転輪王という為政者の理想像は広く東南アジアからチベット仏教に帰依したクビライ・ハーン、清朝の乾隆帝、また、日本にも天竺の思想として伝えられています。転輪王経に触れて志を持ち、よりよい社会を目指された王様は当時たくさんいらっしたことは間違いありません。わたしたちにおしゃか様が説かれたことは個の自律に他なりません。自分で自己を律しなければ他に自分を律することが出来る存在はありません。より良い明日はわたしたち個々の一人一人が善きことを為して築き上げてゆくものであって、欲望に振り回されず、自らが自らを律するように・・・とおしゃか様は終始説かれ続けました。