風神雷神の訪問着

風神雷神の訪問着のご自宅玄関前で写していただいた写真です。よくお似合いです。誂えでご注文いただくくらいですから、お好みでもあったと思います。お茶会にご出席なのですが、例年1月のこのころの初釜で、一年かけて来年のきものを考えなさいとご注文いただきました。月並みなきものではご満足いただける方ではございませんので、心を引き締めていちど頭の中を空っぽにして発想してみたいと思っています。芸術一家で、娘さん二人、ヴァイオリ二ストと漆芸家でありご当人も数年前までクラッシクのソプラノ歌手として現役でした。身の引き締まるおもいで前を向いて時を過ごせると思っています。

ページをお借りして昨日のインドの話をすこし書いてみたいと思います。お釈迦様が生きておられたBC500年ころにはバラモン教はインドの思想、文化の基礎を形作り社会の基本的枠組みを完成させていました。ヴェーダは聖仙が神秘的な力で天から聞き取った啓示であって人や神が作ったものではない・・・絶対的な権威を伴ってインドの思想の根底を形作っています。リグヴェーダから継承されたマヌ法典では最高神ブラフマンの頭から祭式を司るバラモンがうまれ、腕から武人のクシャトリアが腿から生産に従事するバイシャがうまれ、足から隷民としてのシュードラがうまれたと説きます。カースト制度は神の意志であると主張されたのです。バラモンとしての祭官はアーリアの人々を祭祀によって死後天に生まれ変わらせることが出来ると主張して祭官への贈与を要求しました。多くの富は祭官への贈与に消費されたと考えられます。人々は天とこの世とを往復しながら輪廻転生を繰り返す存在と認識していたのでしょう。また、古代インドでは善因善果、悪因悪果という思想がすでに生まれていました。でも、一度の生涯で善因善果も悪因悪果も実らないことが多くあり、輪廻転生は生まれ変わっても因果応報の法則を合理化した思想ではないか・・・と考える学者の方々も多くいらっしゃるようです。古代インドの社会はこのような神と結びついたバラモン教の祭祀を中心とした制度を中心に運営されていたとかんがえられます。その中にあって、仏教、ジャイナ教、また唯物論を基本とする思想などが花開いています。世界史のなかでも経験のないほどの思想の花が咲き乱れた時代・・・と言われています。農業生産の拡大が急速に普及して、新興の都市部を中心に今までの思想に飽き足らなくなった人々が新しい思想を求めていたのでしょう。この時代はバラモン教の祭官に対しても批判が行われています。