染め帯と織りの帯に分けて整理してみます。

染め帯:
絞りも染め帯の分類に入ると思います。織りのきものに染めの帯・・・と言い習わして来ましたように紬のきものに相性がいいです。最近は色無地に合わせるのに、蓮の咲いている図柄で法事の帯を染めたり、織りの帯で普段の紬などによく合う帯も作られていますから場合に応じてお使いいただいてよろしいかと・・・
染め帯に使う生地は、塩瀬、ちりめん、紬など何でも使われるようになってきました。
原則として、おしゃれ用と考えてください。

織りの帯:

半幅帯:
八寸幅の帯が標準なのに比べ半分の幅の四寸幅なので半幅と呼びます。普段帯として家庭でよく使われました。現在は主に浴衣に合わせて使われます。袋(裏付)になった帯と一重の単半幅帯があります。

袋名古屋帯:
九寸幅に織り、芯をいれて八寸幅に仕立てます。お太鼓の部分が裏がついて袋になっていますのでこの名前がついています。簡単に締められ、用途も広いので帯の6~7割が袋名古屋帯だといえるくらい多く使われています。

八寸かがり名古屋:
八寸幅に織り、耳をかがって仕立てます。お太鼓の部分が袋になっている帯と、一重のまま締める単帯とがあります。

袋帯:
総裏がついて長さも1丈1尺から2尺あり、お太鼓は二重に作ります。礼装用からおしゃれ用まで用途は広い範囲使えるよう作られています。
錦といえば袋帯を想像するくらい帯のなかの華といえる存在です。

夏帯:
袋帯、袋名古屋帯、かがり名古屋帯などがあります。長さなどは冬用と同じですが、絽や羅など織り目が透けているのが特徴です。単や夏のきものに合わせます。

中国製の帯について:
一般的に安物のイメージが強いのですが、粗悪品も多くあることは事実ですが、日本では織れないくらい高度な技術で織られた帯もあります。いいものを選択なさって、為替差益で安い現在、選択肢の一つに入れていただきたいと考えます。

男性用帯:
角帯、兵児帯があります。兵児帯は普段用です。角帯は着流しにも袴下にも用います。結び方がさまざまです。
帯の歴史は長いので、面白い習慣が沢山あったようです。
石川つづれさんは宮内庁ご用達しの織屋さんです。その職人さんに聞いた話です。江戸初期まで、帯の手先は祝儀手と不祝儀手と厳然と分かれていたのだそうです。右手に手先を持って締めるのが祝儀手、葬儀などの時には左手に手先を持ったそうです。豊臣の遺臣の暗殺を恐れて大奥では手先を逆に持つ不祝儀手を通常の締め方と決めたのだそうです。このようにして関東手先が生まれたといわれました。ちなみに石川さんでは前の柄は片方が普通なのだそうです。ついでですが、帯締めも同様に祝儀は結び端を上から差し込みます。不祝儀は下からはさみます。
もう一つ、界切線の御話をいたしましょう。こちらは民俗学の先生に聞いた話です。帯の垂れの上に織り線がございます。この線を界切線と申します。今でも機屋さんには垂れの柄は界切線の上のほうにつけてください・・・と通常に使います。晴れと褻の界を分ける線なのです。その界について面白い由来を教えていただきました。織機の無い時代、高級な錦の帯は独身男性の一年分の収入に匹敵したそうです。今の2~300万円相当でしょうね。結納に納めるのですから差し上げるほうも受けるほうも相当な覚悟で結婚に踏み出した時代だったのでしょう。暗黙のうちにこの帯を解くのは私だけ・・・といった意味合いがあったのだそうです。この帯を締めるからには、確かに私はあなたの妻です・・・が建前であり晴れの世界です。さはさりながら、建前だけで生きているわけではありません・・・というのが本音であり、褻の世界なのですね。その気持ちを垂れの部分に集約して表現したのだそうです。微妙な話です。秩序を重んじた封建制の時代にあっても、小さな自己主張があったようです。
すこし脱線して同じ方から聞いた話しです。綿の布団がまだ無かった時代、冬の寒さは困りました。時代の風習と申しますか習慣として、男性は女性の脱いだきものの中にもぐりこんで暮らすのが日常だったそうです。同衾がふすまを同じくする言葉なのですからそのようだったのでしょう。男性は女性のきものから追い出されますと惨めで寒い夜をすごします。必死の思いで同衾させてもらえる女性を求めたのでしょう。お端折りは夜具として対丈では短いので長くなったとの説もあるのだそうです。今日でも掻巻きや丹前が夜具として日常に使われています。
今日の人間関係よりある意味濃密であったことは事実でしょう。