きものの素材

きものの素材: 麻、木綿、絹、和紙、芭蕉布、藤布、葛布など

麻:
綿が普及するまで、きものの主役だったようです。寒い季節は防寒が大変だったでしょう。米沢にはぜんまいの先の毛の部分を麻に織り込んだ織物があります。すこしでも寒さを防ぎたい・・・との工夫なのでしょう。暖房の乏しい時代の苦心が想像できます。
麻は日本ばかりでなく世界中で使われてきました。低緯度の地方では現代でもなくてはならない天然素材です。 
和麻(からむし、苧麻とも呼びます。)の他にラミー麻も滋賀県などで栽培されています。麻独特の皺になるのが敬遠されて一時減少しましたが、最近見直され、夏物によく使われるようになっています。
1970、80年代の中国では、天然繊維は敬遠され、ナイロン、テトロンなどの化繊の繊維がもてはやされていました。絹も麻も人気は無く、しわになりにくくシルエットの美しい化繊があこがれの的だったようです。現在の中国の繊維の利用状況はわかりませんが、化学繊維は夢の繊維で万能の繊維を呼ばれていた日本が、現在、それぞれにメリットを生かして住み分けているように中国も天然繊維の評価は次第に高まってゆくであろうと想像できます。

木綿:
普及は鎌倉期以降のようです。留袖の裾に綿を少し入れます(裾綿)が、綿が高価でたくさん入れてやれないがせめて裾にでも・・・との親の思いの名残なのだと聞きます。金と同価格の時代もあったようです。
量産できるようになり木綿は江戸期以降庶民の衣服の主役になりました。藍との相性がよく明治に入って来日した欧米人がジャパンブルーと呼んで故国に紹介したくらい、藍に染めた衣服は日本の風景だったと考えられます。
生産が無くなった川越唐桟など、絹に遜色ない織物も多く生産されました。
木綿はマルチと呼べるほど衣服として使われています。肌着からコートまであらゆる分野で使われています。和服にも、久留米かすり、伊予かすり、千葉県の特産品として唐桟などがありました。

絹:
ヒマラヤの麓から雲南省、四川省や中国南部、さらにインドシナ半島にかけて広範囲に多種類の野生の蚕があり養蚕も盛んに行われています。インドネシアの街路樹に繭をかけて公害になっている蚕は品種改良されて日本で黄金繭としてきものや帯に織り込まれています。
1987年、街道をゆく「江南のみち」の取材で中国南部を訪れた司馬遼太郎さんがホテルのカーテンやバスのカーテンが絹なのですこし驚いておられます。中国やインドシナ半島では絹は特別なものではなく身近に使われているのではないでしょうか。タイシルク、ヴェトナムのアオザイなど広く庶民の間で使われ日常性があります。
日本では、明治期、絹を含めて織物が国家経済を支える輸出の主力でした。規格を統一する必要があり現在の家蚕の品種が指定されました。他の品種は種の保存を目的として、農水省の下で養蚕されています。愛子さまの祝い着として使われた小石丸は天使の羽衣と言われています。
日本以外の産地の絹は品質が劣っているのでしょうか。そのようなことはありません。蚕の品種によってきものに適しているかどうかの問題はありますが、日本で使われている絹は中国をはじめとしてトルコ、ブラジル、などから輸入されています。産地に関係なく蚕の種類がきものに適し、糸質がいい繭はいい織物になります。

和紙:
帯には軽くて丈夫で適しているとおもいます。過去には柿渋で防水をして合羽として使用されました。

芭蕉布:
わたしが若い頃はバナナ上布と呼ばれ、評価は低いものでした。平良さんが大原総一郎さんの後援を得て再興なされ一躍有名になりました。平良さんの人柄に負うところも大きいようにおもいます。

藤布、葛布:
藤布については、保存会もあり、生産されています。その一人に京都府の北部丹後で大変良質の帯を作っておられる方がいらっしゃいました。

糸にする: 
糸を取るときは、繭を湯に浮かべてつむぎます。裏地は8本くらいを一本の糸に、表地は14本~31本を合わせます。機屋は自家で撚りをかけて織ります。産地は京都府丹後地方、滋賀県近江長浜、福井県、石川県の小松地方、新潟県五泉市など湿度の高い地方で盛んです。