五蘊

数日体調がおもわしくなくお休みをいただいていました。もう少しで終わりそうですので頑張ってみます。

さて、五蘊ともうしますのは、人にとって生存を成り立たせる五つの大きな幹であり枝ぶりといった意味のようです。「色・受・想・行・識」の五つです。色は私たちの身体です。受は好き、嫌い、どちらでもないといった知覚や感覚のことです。想は「あれはAである、あれはBである」と比べて定める能力のことです。行はもともとはものごとを構成し作り上げることの意味だったようです。人は意思をもって行為します。その行為が行にあたります。識は分けて知ることの意味で、何らかの対象を諸要素に分別して認識する能力です。分節作用こそが認識なのです。お釈迦さまは身体について、「もしこの身体が自己であるならば、病気にならないであろうし、私の姿はこのようであれ、とかこのようであるな・・・と言うことが出来るであろう。でも、身体は自己ではないから、病気になり、姿もこのようであれとかこのようであるな・・・と言うことはできない。身体は自己ではないからです」同様に受、想、行、識も私ではなく私のものでも私自己でもない。どれ一つとっても思い通りにならない」と説かれます。わたしたちの悩み、苦しみの根っこはこの辺の受け止め方、認識に根源がある・・・とおっしゃっておられるのかもしれません。縁起では何が渇愛を生み、執着をもたらすのかについて簡単に触れてみたいと思います。