いまの言葉では・・・

捨て松袋UP-500

現代語に直せば、すこし過ぎるかもしれませんが、「いいとか悪いとか何を基準に言えるのでしょう。その時々に人々の要望に叶い、賞玩にたえるものがいいものだと考えなさい。人それぞれに楽しく興味をもつものが異なるわけで、そのいずれもがその人にとって望むもの、役に立つものなのだ。その時々に人々に賞賛され、役に立つものが花であると心得るべき・・・・」といったところでしょうか。

当代トップの戯作者であり、演者であり、貴族も舌を巻くほどの教養人であった世阿弥ほどの立場の人であれば、鼻高々と吾こそ天下第一・・・・と言いうる立場だったろうと思います。「いまご覧いただいているあなたにとって、面白く楽しく、興味を持ってもらえる題材、演技を提供するのが私の本分です・・・・」 このような基本姿勢を持っていたと思えます。仏教の考え方が広まっており、世阿弥の結崎座は長谷寺観世音に奉仕する芸人の一座であったこと(観世家の由来です)にも遠因があるかもしれませんが、千年の命を持つ芸能の完成者の言葉として味わい深いものがあります。