版画小紋

 

最近では珍しい版画染めの小紋です。この作品は買い継ぎから求めていますが、小さい染め屋さんでわずかずつ作っておいでだそうです。グレーとベージュと若草があり、ベージュ色のみ残っていました。少しずつ在庫を調べながら、数か月かけて処分してまいりたいと思っています。この小紋は作りはご覧いただきますように、細かいところまで気持ちの行き届いた丁寧な作品です。また、型ものと違って、手作りの作品ですのでそれなりに評価をしてやっていただきたいと思います。¥59,000、-(別税)でお願いいたします。お稽古着として、また街着としていい作りの小紋でございます。

手描き付け下げ

 

今年に入ってから求めていました手描きの付け下げなのですが、わたしが怠けておりまして、みなさまにご覧いただいておりませんでした。昨日、在庫を見て発見いたしました。この付け下げは、京都のいい染め屋さんの作品なのですが、同じものをたくさん染めてコストを下げた商品です。地色は同じ色は避けるのですが、同じ柄で、色違いで10反くらい染めますとコストはとても下がります。わたしはこのような手描きで染めた低コストの良質のきものが数多く求めていただくのが理想だと常日頃から思っております。15万円くらいで市販されたらおおくのかたにおもとめいただけるのでないでしょうか。この作品に限り、¥98,000、-(別税)でお願いいたします。

裾回し。

八掛(裾回し)はきものにとってはとても大切な部分です。私自身、裏地についてはそんなにこだわりを持っていないのですが、八掛についてはとても気を使っています。普通、多く使われているのは精華と呼ばれる強い撚糸のパレス地です。だいたい既製品で一疋800g~930gくらいの目方で、染め上げて準備されています。ぼかしも色数をそろえて、同じくらいの目方の既製品が準備されています。一年に一度くらいお召しになられる方が多い時代ですから、八掛の目方はそれで十分だと言えばその通りだと思います。たきちの場合は、多くのお客様がお茶のお稽古着としてもお使いです。また、お茶の先生方は毎日がきものですから、八掛が擦り切れることは常時でもあります。どのような生地が裾切れが少ないか、着心地はどの生地がいいか・・・・何年も生地を替えて試み、お客様方とも相談しながらどうやら80点から90点をいただける仕様にこぎつけました。点数がすこし低いのは値段なのです。ただいまは五泉のチエニーを1000g超えた目方で織ってもらって使っています。どうしても3,000円くらい高くつきます。ただ、裾切れで仕立て替えが2~3年延びるだけでも3,000円以上の値打ちがあると思っています。先日来、仕立てやさんに八掛を任せましたところ、既製品を使われまして、改めて自分の甘さを実感いたしました。一点ずつ表の色に合わせて別染めをしてまいりましたが、そのような配慮は呉服屋の役割であり、仕立て屋さんは指示いたしましても、実感をもって対応をしてくれません。”どこでもこのやり方ですから、どうしても別染めがご希望なら、八掛は染め上げて添えてください・・・・” と言われます。今後は八掛は必要な方は、生地は手元に置きますから、どうぞご注文いただいて、別染めをさせていただきたいと思います。コスト的にも、着心地から申しましても、こちらの方が安いと思います。このチエニーという織り方は、最近の重い特殊なちりめんの生地にも、大島のような平の織り方にも、紬のざっくりとした織り方にもよく添ってくれます。すこし羽二重てきな感触があり、捌きが楽です。反省とともにご報告とお願いでもあります。

退院いたしました。

おはようございます。みなさまお元気でおすごしのことと存じます。わたし、3月の4日に入院いたしまして、狭心症のカテーテル手術を受けて、冠状動脈にステントを入れていただきました。一番太い動脈がまったく通っていなかったのですが、おかげさまで血の通った体にかえりました。下肢が冷たく、感覚もしびれているような状態でしたが、足があたたかくなり、足の裏まで感覚がもどりました。もっとも、いろいろなことが起きるようで、お医者様はとても用心深く様子をお訊ねですが、まず私の苦しさが緩和したのがなによりもうれしいことでございます。今後どのように・・・といろいろ考えますが、家内も難病、わたしも特発性肺腺維症という難病でございます。みずからの状態を考えて、ほどほどに生きてまいりたいと念願いたしております。でも、みなさまにお目にかかれる機会が月に一度でもある楽しさは何ものにも代えがたいほどの生き甲斐でもございます。みなさまの足手まといにならないよう努力をしながら楽しい日を過ごさせていただければ幸いでございます。どうぞよろしくお願いいたします。

手描き小紋Ⅱ

 

 

この小紋は寛文小袖と名前を付けて、数年前に染めたことのある柄です。昨日の小紋と並んで手描きの小紋として設計されていました。みなさまは昨日の小紋とこの寛文小袖とどちらが重い加工かお見分けがつきますでしょうか?こちらの寛文小袖のほうが重い染めなのです。一つには、鹿の子の小粒の柄がございますが、手描きですので、この小粒の鹿の子の柄も全部糊を伏せなければなりません。鹿の子を手で伏せるということは、他の部分の柄もそれ相応に細かく、目鼻立ちをはっきりと描く構想で図案の設計をいたします。また、職人も重い柄と取り組む気持ちで向かい合います。司令塔は染屋のご主人です。彼の指示でものつくりが進んでまいります。この反物の染め上がりについて、いろいろな感想を申しておりましたら、ちょうど湘南からお越しの若いお客様がお気に召し、お求めいただきました。さすがに付け下げくらいの値段になりましたが、今後染めることも出来なくなりましたので、幻の小紋になってしまいました。付け下げより取り組む時間は長くかかります。職人の方も、また、染め屋さんとしては経営的には付け下げを選択なさりたいでしょう。香り高い素敵な小紋でございます。このような小紋をつくるところもまだわずかですが残ってるんだ・・・と申し上げたくご覧いただきました。

手描き小紋Ⅰ

 

 

先月から申し上げておりました手描きの小紋が染めあがってまいりました。さいごの作品になりますがどうぞご覧ください。私たちの年代の人間は、どうしても職人へのこだわりがあり、好きなタイプがあるのです。このような小紋は付け下げを染める職人でなくてもできるのでは・・・と思うのですが、何十年も最上のものを作りたい・・・と思って日を過ごしてきた者は、どうしても妥協ができないのです。落としてものを作るのなら作らない方がいい・・・と思うのです。それくらいの気持ちが無ければ、仕事はどんどんレベルが下がります。この柄は2尺5寸の柄を下絵として描いています。ガラスの間に挟み、下からライトを当てて図案の上に生地を置き、ゴム糊で糸目を置いてまいります。一反ぜんぶ糸目の糊を置いて、柄の部分に防染の糊を伏せます。次いで地の色の染めに入ります。わたしはこの反物はブルーを基調に染めてもらいたかったので、色は厳密にではないのですが、指定いたしました。地色が染まりますと、蒸気で蒸して色を定着させ、柄の部分の糊を洗い、柄の色の手描きに入ります。この色挿しがきものが生きるかどうかの職人の感性です。つい、目立ちたくて強いタッチの色を挿したくなるのですが、お召しいただくお客様が、何十年も付き合って飽きの来ない品の良さが求められます。色挿しに入りますとわたしは一切口を出しません。染め屋の親方と職人の間のやり取りを信じてお任せいたします。途中でストップをかけました・・・と聞くこともあり、職人の感性を特に褒めておられることもあります。一つ一つがその時のベストを尽くして染めています。この柄はもうおひとり、違った感性の色挿しでおつくりいただいているお客様がおいでです。いま、色挿しまで進行していますので、染め上がりはお客様のご了解をいただいてご覧いただきたいと思っています。わたしはこの染め上がりは、自分の最後のこのクラスの作品として、とても満足しています。みなさま、着てみたいというお気持ちがございましたら、ぜひ声をかけてください。ご覧いただいた通り、付け下げを染めるよりうんと手間はかかっていますが、けっして付け下げほどの値段はいたしません。なお、生意気を申し上げますが、大手のたくさん染めるような染め屋さんではこのような作り方は出来ません。一つ一つを手作りで染めている染め屋さんで初めて手掛けることが出来ます。いくら京都が大きな染めの世界を持っているとはいえ、このような作り方は出来なくなってきていることはだれしも感じているところです。

考えてみますと。

仏教などと申し上げて、いまさらに反省いたしております。おしゃか様が説かれた自律のうち、為してはいけないことは、いつの間にか、自己責任から遠く離れ、警察権力の摘発にうつされ、罰も法律の役割になりました。欲望とそれを自己抑制するバランスは必要がなくなりました。法に触れなければ何をしてもよい・・・時代に、おしゃか様など持ち出して・・・と笑われてしまいます。とくに最近は国家そのものが欲望むき出しで、恥じるという感覚が無いように見えます。将来への希望と申しますか、明日は世界は楽しく住みやすい世界になる・・・とおもえない状況はなんとも悲しくて、ふとおしゃか様がなんとも暖かく思い出されて、つたない文をご覧いただきました。わたしの師は加賀山さんとおっしゃられて、真言密教に進まれました。とうぜん、霊魂は存在するとお考えでした。わたしは最後まで疑念を持ってお話を伺っていましたが、絶対に霊魂は存在しないととも思ってはおりません。人が知っていることなんて、宇宙全体の2%か3%くらいらしいですから、自分の十二処、一切と同じようなことで、真実そのものとは距離があると自分で思っていないと大きく間違うのではないかと思っています。明日からは元の自分にかえって、好きな染めや織の話にかえりたいとおもいます。はやり病にかかっていたのだとお考えいただき、以前のように呉服屋としてお付き合いいただければ幸いです。