権威と滅び

藤原・若松-500

ある宗教団体を率いておられた方に話を伺ったことがあります。「山のいただきのように仰ぎみられるような存在になってはいけませんよ。人々の悩みや苦しみが理解できるためには、水が低きに流れて沼地に集まるように、自分自身が低きにいるような生き方を朝に夕にしつづけていることが大切です。」 世阿弥が権威を目的としていたら、能の命は短かったのではないでしょうか。昨日の芸が今日も観客を惹きつけるとはかぎらない。今日の観客が何を望み、何に涙するのか・・・・細心の注意を払って観客の望む芸を提供しようと精進しています。長々とした前置きで恐縮ですが、着物業界に決定的に欠けているものがあるとすれば、この姿勢ではないでしょうか。伝統の上に胡坐をかいているといわれても返す言葉がないと思います。

いまの言葉では・・・

捨て松袋UP-500

現代語に直せば、すこし過ぎるかもしれませんが、「いいとか悪いとか何を基準に言えるのでしょう。その時々に人々の要望に叶い、賞玩にたえるものがいいものだと考えなさい。人それぞれに楽しく興味をもつものが異なるわけで、そのいずれもがその人にとって望むもの、役に立つものなのだ。その時々に人々に賞賛され、役に立つものが花であると心得るべき・・・・」といったところでしょうか。

当代トップの戯作者であり、演者であり、貴族も舌を巻くほどの教養人であった世阿弥ほどの立場の人であれば、鼻高々と吾こそ天下第一・・・・と言いうる立場だったろうと思います。「いまご覧いただいているあなたにとって、面白く楽しく、興味を持ってもらえる題材、演技を提供するのが私の本分です・・・・」 このような基本姿勢を持っていたと思えます。仏教の考え方が広まっており、世阿弥の結崎座は長谷寺観世音に奉仕する芸人の一座であったこと(観世家の由来です)にも遠因があるかもしれませんが、千年の命を持つ芸能の完成者の言葉として味わい深いものがあります。

一子相伝

カワサキ刺繍袋・ベージュ地-500

風姿花伝は観世家の一子相伝の秘事でした。いま読んでも実践を通して得られた深い人生観照に満ちていると思います。

本来よりよき、あしきとは、何を以って定むべきや。ただ、時によりて、用足る物をばよき物とし、用足らぬを悪しきものとす。この風体の品々も、当世の数人、所々にわたりて、その時の偏き好みによりて取り出だす風体、これ用足るための花なるべし。ここにこの風体をあそめば、かしこにまた余の風体を賞玩す。これ、人々心々の花なり。いずれをまことにせんや。ただ、時に用ゆるを以って花としるべし。

世阿弥

雪ノ下アップ1-500

世阿弥は大和猿楽の一座の経営者であり、座付作者であり、主要な演者でもありました。当時の権力者の足利義満に愛され、トップスターに躍り出ます。今でいうアイドルでしょうね。父、観阿弥は世阿弥に知識階級との交際に耐えられるよう、和歌、連歌などの教養を身につけさせていましたので、戯曲の作者として優れた作品を作れる素養を身につけていました。しかし、アイドルには年齢的に賞味期限があり、愛寵を失なった一座を支えるのは大変な苦労が伴ったであろうと思います。晩年になりますが、70歳を過ぎて将軍義教によって佐渡へ配流され消息不明になります。第一級の芸を提供することと人気を維持することの両立は今と違いまったく保護のない当時は至難の業でしたでしょう。その世阿弥の経験を通しての芸術論、人生論として風姿花伝はあります。時代が変わっても学ぶ人が絶えないのはその実践の中から得た人生のコツにあるのではないでしょうか。

時に用ゆるを以て花と知るべし。

かわせみの宿り木-500

写真は三宝寺池のカワセミの餌場です。しばらく前までTVコマーシャルに餌を咥えて羽ばたくカワセミの姿が見られました。石神井城址はわたしの好きな散歩コースです。

「時に用ゆるを以て花と知るべし」の言葉は世阿彌の風姿花伝の最後の部分にある言葉です。世阿彌と申しますと、能の完成者として著名で、成功者として一生を華やかに送った・・・・と思われやすいですが、むしろ毀誉褒貶の激しい一生で、一座を率いて苦難の連続であった生涯だったと思います。この言葉は世阿彌の40代の著作の中にあるのですが、まことに深く観照した言葉・・・・とおもい、わたしは座右の銘にいたしております。

泰生さん名古屋帯

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 しばらくご無沙汰していました。ホームページが安定しないので、修理のためしばらく閉じますよ・・・・と言われていたのですが、どうやら日一日と無事にすごしています。写真は泰生さんの注文の帯なのですが、お好みいただいてお求めいただきました。仕立て上がり、手元でしばらく朝に夜に眺めていました。なんとか腹に落ちて、次に考えていましたグレーの〆切りのイメージが固まりました。わたしの年でこのように自分の世界をていねいに再現してくれる機屋さんがあり、認めていただけるお客様がある・・・・ことの幸せをかみしめています。

哲学の道

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 南禅寺から銀閣寺までの哲学の道の途中に西田幾多郎の碑が立っています。私たちのすこし前の世代の青年層には忘れがたい大きな存在であったとおもいます。わたしたちの世代はそのあとの京都学派により親しみを持っているように感じます。

途中に叶松寿庵の喫茶室があり、一服ちょうだいしました。立礼の席でしたが、感じよく作られていて、一般家庭でのもてなしに参考になる雰囲気でした。

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